12回目
「学歴社会」「偏差値偏重」を否定する記事やお話によく出会う。
大まかな考え方としては「「学歴」や「知識」ではなく「人間力」や「コミュニケーション能力」の方が大事なのだ。」的なものだ。
これだけ見れば、完全に同意する。
しかし、いくら評論家が不安をあおり、一般論の斜め上からの視点を提示した方が売れるからといっても無責任すぎる。
この考え方には、高学歴の人間には「人間力」や「コミュニケーション能力」が欠けており、学業をおろそかにした人の方が「人間力」や「コミュニケーション能力」に長けているといった見方を助長してしまう恐れがあるのだ。(もちろん評論家もそのような意図はなく受け手の問題なのだが・・)
さらにそれに同意する人たちの中に、「知識」や「論理的思考力」などと「人間力」や「コミュニケーション能力」は比例しない。と付け加える人がいて、誤解を深めてしまうのだ。
たしかに学歴なんかなくても成功している人はたくさんいるし、高学歴であってもうまくいかない人もたくさんいるだろう。比例なんかするわけがない。現実世界で相関係数1の完全比例なんてする現象がどれほどあるだろうか?
だが、「知識」や「論理的思考力」などと「人間力」や「コミュニケーション能力」は正の相関を示すだろうし、学業が無駄になることは決してない。
その知識を身に着けるための努力や学業で身についた論理的思考力は何にでも応用が利くはずだ。さらに高学歴の人の一番の強みは人脈なのだ。人間が一人でできることなんて、たかが知れている。個人的にはいい大学に行くことのメリットは、高度な教育や研究ができるのはもちろんだが、それ以上にいい人脈を作りやすいことだと思っている。各人の能力が高く、将来にわたって協力できる関係を築けるのなら、これに勝る財産はないはずだ。
安易な意見に流されるのではなく、物事の本質を自分で考える能力と実践力が本当に求められる力であり、これが本当の「情報リテラシー」だと思う。流された先にある失敗に対して評論家は決して責任を取ってくれない。
だから今、目の前の事を着実にこなしていこう!!
凡事徹底。これがすべて!!!!
「やりたいことを思いっきりやるためには、やりたくないことも思いっきりやんなきゃいけないんだ。」って駒野勉もいってるし・・・